オッサンとたこ焼きと覚醒の物語
どん底からの再起と、見えない出口
通天閣近くの居酒屋のオーナーとして長年愛されてきたオッサンだったが、コロナ禍の荒波に飲み込まれ、店はあえなく倒産。なんとか生活を立て直そうと、屋台のたこ焼き屋として再起を誓った。定休日の文字をカレンダーから消し去り、身を粉にして商売を軌道に乗せようと必死にもがく日々。しかし現実は甘くなく、売上は一向に上がらない。「またしても店を畳むことになるのか……」と、再び廃業の危機が首の皮一枚のところで迫っていた。
謎の客が残した、奇妙な言葉
そんなギリギリの精神状態だったある日、ふらりと屋台にやってきた一人の客——「安達」と名乗る男が、オッサンにこうポツリと呟いた。
「たこ焼きはな、焼くもんやないで. 焼けるもんや」
必死に人生をコントロールしようと歯を食いしばっていたオッサンにとって、その言葉は意味不明だった。「何を寝言みたいなこと言うてんねん」と、その時はさっぱり理解できなかったのだ。
夕暮れの鉄板で起きた『完全なる静寂』
それからしばらく経った、ある日の夕方。いつものようにオッサンは不安の中でたこ焼きを焼いていた。
手元の千枚通しが、カチャ, カチャと小気味よい音を立てる。夕陽が鉄板を赤く染め上げ、ソースの焦げる香ばしい匂いが立ち昇る。しかし、オッサンの頭の中は相変わらず不安の渦に呑み込まれていた。「また店がアカンようになったら、どないしよう」「なんでわしの人生、こんなに上手くいかんのや……」。コロナで居酒屋を失った時の、あの胸が押し潰されるような絶望感が容赦なく蘇る。一生懸命「自分」の力で、なんとか人生をコントロールしようと必死にもがいていた。
その時だった。
キキッーー!
屋台の前を通りかかった自転車が急ブレーキをかけたのだ。
ふと、オッサンの動きが止まった。
いや、正確には「手は鮮やかにたこ焼きを返し続けているのに、『それをやっている者がいない』」という絶対的な静寂に包まれたのだ。
!!!!
『たこ焼きは焼くもんやないで。焼けるもんや』
安達というあの不思議な客の言葉が、突然、雷のように脳天を貫いた。
その瞬間、オッサンは『ありのままの世界』をはっきりと見た。
丸く焼き上がっていく生地、ひっくり返す千枚通しの確かな感触、火照った頬を撫でる夕暮れの風。そこにはただ「完璧な世界」だけが存在していた。
「わし」が、たこ焼きを焼いているのではない。ただ、「焼く」という生命の躍動そのものが、ここで勝手に起きているだけだったのだ。
過去の絶望も、未来への恐怖も、「なんとかして生き残らなければ」と力み続けてきた重たい『自分(エゴ)』という存在も。すべては、頭の中の思考が勝手に作り出していた幻だったと見抜いた。
「あぁ……わしがやってたわけやなかったんや」
肩から、何十年も背負い続けてきた見えない重い荷物が、ドサリと音を立てて落ちた。
涙が溢れた。それは悲しみの涙ではない。圧倒的な安堵の涙だった。果てしない探求を終え、ようやく「本来の故郷」へと帰還したような、絶対的な安心感がそこにあった。オッサンは泣き笑いしながら、目の前で完璧な丸みを帯びたたこ焼きを、ただ愛おしく見つめていた。
再会。弟子入り・・
その日以来、オッサンはずっとあの客を探していた。
あの不思議な体験と感謝をどうしても本人に伝えたかった。そして叶うことならば弟子になって、この道を極めたいと思っていたからだ。数か月後、その日がやってきた。
「オッサン。たこ焼き一つや。」
「……あ、安達さん。ずっと探してましたんや!」
オッサンは身を乗り出し、あの日鉄板の前で起きた「自分がいなくなった」体験を一気にまくし立てた。そして勢い込んで頭を下げた。
「頼んます! わしを弟子にしてください! あの時の状態をずっと保てるように、もっと修行してトコトン極めたいんですわ!」
しかし安達は、熱々のたこ焼きをハフハフと頬張りながら、呆れたように笑った。
「アホやな。極めるも何も、お前さんはもう『家』におるやないか。どこ行こうと思っとんねん。」
「せやけど、今はまた普通に戻ってしもて。」
「普通?悟りやら非二元やらかじるからそうなんねん。
普通や特別や、言うとんのは誰や?」
「……わしです」
「そやろ。世界を分けとるのは『あんた』なんやで。」
「そっか。じゃあいったいどうすればええんです?」
「アホか. それ誰が言っとねん?」
自己探求の終わり(Go Home)
何とか弟子入りすることができたオッサンは、
たこ焼きを焼きながら、一日中ひたすら師匠に言われた通りの
ことをやっていた。
「ただ見る。」「ただ見る。」
毎週日曜に師匠の話を聴き、平日は起きてから寝るまで実践に明け暮れた。たこ焼きの仕事をしながら実践できるのが、オッサンにはありがたかった。
弟子入りからそろそろ2年になる。例の『ありのままの世界』体験は、オッサンにとって、ごく日常の風景になっていた。
「あ、師匠!」
「もし宇宙が青一色だったら、青はどこにある?」
「ほい。たこ焼き焼けました。さあどうぞ。」
「……今日で師弟コンビは解散やな。」
「えっーいきなりなんですの?」
「さっきの問答が最終試験や。もう誰もおらんかった。
宇宙に帰ったあんたに教えることはもうないわ。」
「そうでっか……師匠、ほんまにありがとうございました。」
「ハフハフ……宇宙が焼いた宇宙焼き. ほんま旨いわ。」
帰郷、そして「今この瞬間」を分かち合う場所へ
師弟コンビの解散から数か月が経ち、オッサンの屋台は店舗に代わり、看板は
「宇宙が焼いた熱々の『宇宙焼き』」になった。
それから不思議な変化が訪れた。タコ焼きの絶妙な味もさることながら、「オッサンと話すと、なぜだか胸のつかえが取れて心がスッと軽くなる」という噂が瞬く間に広まったのだ。今では、宇宙焼きを食べるのはもちろん、オッサンと言葉を交わすために店の前に列を作る客が後を絶たない。
オッサンの口癖は「かめへん、かめへん」「ええで、ええで」だった。それは決して無責任な軽口ではない。彼が見ている『常に完全で完璧なありのままの世界』から自然と発せられる、深い受容の声だった。
人生の重圧に押し潰されそうになり、暗い顔をしてやってくる客がいると、オッサンはまず、かつての自分を重ね合わせるように深く頷く。
「それはしんどかったな。不安になるのも無理ないで。よう今まで頑張ってきたなぁ。」
そう優しく寄り添い、熱々の宇宙焼きをスッと差し出して、ニカッと笑いかけるのだ。
「今この瞬間がすべてや。まぁ気楽にやっていこや」